先日、香港人の彼女と入籍をした。
所謂、国際結婚だ。
今は、香港で妻となった彼女と暮らしている。
自分の初海外旅行は10年前、英語の勉強もそこから始めた。
あれから10年。
英語も話せず、日本からも出たことなかった自分が、海外に住んで外国人の女性と結婚するなんて、当時は夢にも思わなかった。
そこで今回は、自己満だが、出会いから結婚までを振り返ると共に、国際結婚をして感じることを書いていこうと思う。
目次
香港人妻との出会いから結婚まで
まず簡単に、香港人の妻との出会いから結婚までを簡単に紹介してみる。
香港人妻はどんな人?
妻は香港生まれで、アジアでトップ3に入る大学を卒業。
北京語、広東語、英語、日本語の4カ国語をビジネスレベルで操る。
三年遅れで大学に入学し、ともすると日本では「敗者」の烙印を押されかねない自分とは正反対のエリートだ。
学歴やキャリアだけを見るとかなり優秀なはずだが、家では日本のアニメを見るかゲームするかばかりで、そのような片鱗すら微塵も感じさせない。
香港人妻との出会いは?
出会いは、香港のローカル言語である広東語を勉強しようと、言語交換パートナーを見つけるコミュニティサイトに登録したことがきっかけだ。
そのサイトにWe Chat(中国版Lineのようなチャットアプリ)のIDを書いておいたら、後に妻となる女性からメッセージを受信。
そこから毎日、メッセージや電話をすることで距離を縮めていき、交際までに発展していった。
もちろん、恋愛目的で言語交換パートナーを探していたわけではないが、実際にこう言った言語交換のパートナーから、交際に発展する国際恋愛カップルは周りにも多い。
自分がよく閲覧している国際恋愛や国際結婚のカップルYoutuberも、自分のようにSNS上で出会いっている人も少なくないので、なかなか現代的な出会いではないだろうか?
プロポーズは?
プロポーズは交際1周年の時に、100万ドルの夜景と言われる香港の高層ビル群を見渡せる公園で行った。
奇しくも社会人1年目の時に、1人で香港に旅行し、カップルがたくさんいる中、沈む夕日に淋しく一人こぶし握りしめ・・・
と誓った公園だ。
それからちょうど10年後に、同じ場所で愛を誓ったのだから、本当に人生は何が起こるかわからない。
香港人妻と国際結婚をして良かったと思う2つのこと
国際結婚して良かったことは何かと言えば、2つある。
1つは「異国の地で、常に側に誰かがいる」という安心感だ。
去年、香港では大規模なデモが連日行われ、今年はコロナの蔓延と特殊な状況が続いた。
ただでさえ勝手がわからない海外で、こうした未曾有の事態を一人で乗り越えていくのは、かなりのストレスになる。
そんな中で、常に信頼でき、サポートしてくれる誰かが側にいるというのは、とても心強い。
そして、2つ目は「異文化コミュニケーション力の上昇」だ。
結婚は当事者間だけの問題ではなく、家族同士付き合いもある。
国際結婚ともなると外国人である相手の家族とのコミュニケーションも欠かすことが出来ない。
育ってきた環境、文化、言語、価値観の違う者同士。
そういった異なる人と、日々コミュニケーションをしていかなければならない。
友人関係と違い、
とはいかないのだ。
日本人は国際結婚に向かない?
ややもすれば、日本では自分と同じ環境で育ち、同じ考え方の人とだけ付き合って一生を終えるケースも多々ある。
以前、日本で参加した友人の結婚式で、こんなことがあった。
同じテーブルに既婚女性が4人、そのうち3人は子供がいた。
式の中、その3人の女性は、終始子供の話で盛り上がる一方、もう1人の子供のいない女性は完全に蚊帳の外。
後から聞いた話だが、その女性は不妊治療をしているとのことだっだ。
その3人の女性にとって、同じ子供がいるという環境で同じテーマで盛り上がれる。
子育ての中で嬉しかったこと。苦労したこと。
そう言ったことを共有し、共感し合うことはさぞかし楽しいだろう。
しかし、自分の話したい事だけを話すのは、大人のコミュニケーションとは言わないと思う。
社会人になったばかりの頃、日経新聞でこんな言葉を見かけた。
「社会人になったら、十歳年上と十歳年下の友人を作りなさい」
これは文字通りの意味ではなく、「価値観や育った環境の違う人と交わりなさい」と言う意味だと自分なりに解釈している。
ワーホリで語学を学びにきたのに、いつも日本人同士でつるむ学生達。
毎日、同じカフェで井戸端会議をしている駐在員妻達。
今まで海外にいるにも関わらず、「日本人村」から出ない人たちを幾人と見てきた。
もちろん、そういう人達を完全否定するつもりはない。
同じ境遇で、同じ価値観を持っている人達の方が話も弾むし、居心地がいい。
しかし、今は住むところも身分も、生まれた場所によって決められた江戸時代とは違う。
「日本人村」から一歩踏み出せば、武士にも商人にも成れる時代なのだ。
多く日本人には、この「一歩」を踏み出す勇気がないように思える。
自分と気が合う仲間。共感できる仲間。似たもの同士。
これらばかりを追い求め、あくまで勝手を知っている「村」、つまり「コンフォートゾーン」から出ようとしない。
そういった人間が大人になるとどうなるか?
自分の育った「村」のルールや景色が、世の中の常識だと思い込み、それを他者に強要する。
だからこそ、学校教育で「髪を染める」ことが校則違反であるはずなのに、
と言った問題の本質を見誤る教師のような人間が、日本では数多く出てきてしまうのだ。
何をするにも遅すぎることはない
自分の初海外は25歳の時。そこから英語の勉強を始め、30歳でサラリーマンを辞め、世界一周を経て現在に至る。
もし、そのまま日本でサラリーマンを続けていたら、どのような人生を送っていたかはわからないが、少なくとも今のような世界中に会いに行ける友人がいて、海外に住んで、外国人の妻を娶ることもなかっただろう。
社会人1年目に初めて行った海外、タイのバンコク。
そこら中に、建設中の高層ビルが立ち並び、発展途上の国の熱さと勢いを肌で感じた。
世界にはこんなところがあるのか。。。
そこからだ。
この熱量だけが、自分を突き動かしたと思う。
30歳で会社を辞める時、何人かの知り合いがこう言ってきた。
みんなと同じようにそれなりの学校を出て、それなりの企業に入って。
定年までの働けば、それなりの給料がもらえて、それなりの人生で。
「みんなと同じ」ことに安心感を見出す日本人だからこそ、こういう言葉が出てくるのだろう。
普通が一番。普通が正義。
一生コンフォートゾーンの中で。
わざわざ「十歳年上と十歳年下の友人を作る」ことなんてしなくても良い。
それだから、日本では「置かれた場所で咲きなさい」などというタイトルの本がベストセラーになってしまう。
そうやって日本人は自分より「普通」を優先して、自分のやりたいことに蓋をしていくのだろう。
「置かれた場所で咲く」のではなく、「咲ける場所に身を置く」。
ひょんなことから海外に魅せられて、世界を旅し、移住までしてしまう。
そんな経験をした自分だからこそ、日本人の生き方は非常にもったいないと思うのだ。
今は「村」の中で一生を終えなければいけない時代じゃない。
「ボクらはセカイのドコでも生きていける」時代なのだ。
締めが綺麗過ぎて、最終回のような勢いの記事ですね!!笑
ご結婚、誠におめでとうございます!!
Twitterでいつのまにか「香港人の彼女」から「香港人の妻」に名称が変わっていたときは(勝手ながら)驚きました。
毎記事楽しく拝読させていただいているので、これからもぜひ記事を書いていただけると嬉しいです!
ありがとうございます!
こういうコメントは本当に励みになります。
中々時間が取れず、更新頻度も遅いですが、また見て下さると嬉しいです。
はじめまして、今、香港女性とInstagramで知り合いLINEしてます、詐欺なのか?と思ったりしますが、一歩踏みださなければ何も変わらないし、日本女子より魅力を感じます。英語は出来ません。
貴方様のグローバルな世界観勉強になります。
僕は貴方様より10歳✖️3ぐらい歳上ですが