前に同棲している彼女と結婚したことを書いた。
その記事の中で「結婚をして良かったと思うこと」を述べたが、そこで紹介しなかった、もう1つの「結婚のメリット」がある。
それは何かというと・・・
既婚者からの既婚マウントをされなくなったことだ。
ここ香港では、30歳過ぎで独身でいても、そうとやかく言われることはない。
しかしながら、独身時代、たまに日本に帰国すると・・・
この様に、既婚者である人間がドヤ顔で優越感に浸ってくるのだ。
このような経験をしたことがある人も少なくないと思う。
なぜ彼らは、こんなにも優越感に浸ってくるのだろうか?
そこには同情すべく、彼らの悲しい生き様と深いコンプレックスがあったのだ。
今回はこの既婚マウントをしてくる人間の心理について、分析をしてみよう。
既婚マウントをしてくる人間の3つの心理
日本人の中には「独身 ≦ 既婚」と思っており、その態度をあからさまに出してくるものがいる。(個人的な感覚では日本人の2割〜3割程)
海外にもこのような「既婚マウントしてくる人間」は存在するが、日本の場合は特にその割合が高い。
その理由は、日本独特の文化も大きく影響している。
それは一体なぜだろうか?
彼らの目的とは?
次から日本の文化と「既婚マウントしてくる人間」の関係性を述べながら、「既婚マウントをしてくる人間」の3つの心理を紐解いてみよう。
人と同じ人生こそ、勝ち組だと思っているから
既婚マウントをしてくる人間は、「独身」そのものを馬鹿にしている訳ではない。
「人と違うこと」を笑っているのだ。
30歳を過ぎてくると、同世代で独身者というのは徐々に減り、少数派になってくる。
常に周りの目を気にして、常に周りと同じ様に振る舞う日本人にとって、「人と違うこと」=「欠陥」と考えがちだ。
だからこそ、既婚マウントをしてくる人間の頭の中では「独身」=「人と違うこと」=「欠陥」という方程式が出来上がる。
本来、結婚は「義務」ではなく「選択」、「目的」ではなく「手段」のはずだ。
しかし、多くの日本人は、婚活に代表されるように、結婚を「義務」と考え、「目的」となっている人が非常に多い。
結婚したい相手がいるからではなく、周りに合わせるために結婚する。
これが日本人の多くの人に当てはまる結婚観だろう。
既婚マウントをしてくる人間も、確実にそんな結婚観の持ち主の一人だ。
自分たちのためではなく、世間の見栄ため。
その証拠に「何故、独身ではいけないのか?」という質問に対して、彼らは論理的で明確な答えを持っていない。
その答えの多くは・・・
と言ったものでしかないだろう。
そもそも、論理的に説明できないものは「常識」とは言わないし、「みんなしているから」というのは、思考停止しているに等しい。
既婚マウントをしてくる人間は「人と同じであること」に安心感を覚え、他人の「人と違うところ」に優越感を覚える。
つまり、自分の人生を主体的に生きている訳ではなく、周囲に振り回される受動的な人生。
そんな悲しい人生を送っているのだ。
結婚は遅れてきた青春だから
既婚マウントをされたことのある人は、マウントをしてきた人間の特徴を思い浮かべてみて欲しい。
するとこんな特徴が思い浮かんでこないだろうか?
・若い頃、あまり恋愛と縁がなかった人
・交際経験はあるが、長続きしない人
日本は海外と比較して、人を褒め合う文化が少ない。
人と同じであることが当たり前とされ、人と違うことがマイナスとなる減点方式だ。
そのため、褒められる経験が足りず、悶々とした承認欲求をかかえてる人が多い。
そんな環境で、若い時に触れるアニメ・漫画、TVドラマなどは恋愛モノばかり。
恋愛を通じて、パートナーと愛を育むのが当たり前、そうではない人間は欠陥品という幻想を抱かせるには十分な環境だ。
そんな恋愛コンプレックスを別の何かで消化できれば良いが、前述の通り、日本では褒め合う文化が少ないため、それは難しい。
結果、「恋愛経験が少ない」という拗(こじ)らせたコンプレックスが、結婚を機に昇華され、あたかも自分が恋愛市場で勝ち組になった錯覚を引き起こしてしまう。
既婚マウントとは、今までの恋愛経験で、満たされなかった承認欲求が昇華してしまった結果でもあるのだ。
知性がないから
そもそもマウンティングとは何だろうか?
マウンティングの言葉の意味を調べると・・・
マウンティングとは、猿レベルの動物で行われる順序確認の行為なのだ。
かの古代ギリシャの哲学者アリストテレスは・・・
と述べた。
そう、我々人間は社会性のある動物だ。
人間は社会を形成してて行く上で、より良い人間関係の構築や社交性が求められる。
だが、既婚マウントをしてくる人間は、一時的な自己承認欲求が人間関係の構築や社交性より優先される。
マウントをすることによって失われる人間関係や信頼までに想像力が及ばない。
つまり、知性がないのだ。
こういった自分の価値観を他者にも当てはめようとする思考回路も浅はかだ。
知性を持つ人間はマウンティングなどはしない。
知性は偏差値ではなく、その人の振る舞いに現れるものなのだ。
既婚マウントしてくる人間との付き合い方
では、既婚マウントをしてくる人間とどう付き合っていけば良いのだろうか?
結論は、単純に「距離を置けばいい」だけの話だ。
そもそもマウントなどをする人間に知的なものはいない。
小学生ならともかく、立派な大人が自身の承認欲求を満たすために、他人をダシに使うなど、知性が欠如していると言わざるを得ない。
例え、それが古くからの付き合いや学生時代の同級生でも、縁を切った方が自分自身のためだろう。
ついつい付き合いが長いとそれだけで貴重な関係と錯覚してしまうが、彼ら彼女らの承認欲求を満たすために自分の貴重な時間を使う必要はない。
人は環境に影響される生き物だ。
周囲に知性が欠如している人間がいれば、自身の品性に影響しかねないのだ。
では、会社の同僚や先輩など、どうしても毎日顔を合わせなければいけない存在の場合はどうすればいいのだろうか?
それらの既婚マウントに一番良い対処法は・・・
と相手の承認欲求を満たしてあげることだ。
満たされない承認欲求から既婚マウントをしている訳だから、その承認欲求を埋めてあげればいい。
しかし、口に出すのは簡単だが、既婚マウントをしてくる人間の承認欲求が満たされた醜いドヤ顔に我慢ならない人も大勢いるだろう。
その場合は・・・
と言った具合に、相手が理解できるか保証できないが、「人の幸せの形はみんな違う」ということを教えてあげるのも1つの手だ。
いずれにしても、既婚マウントをしてくる人間に知的なものはいない。
これは真理に限りなく近い事実なのだ。
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