先日、20年来の友人の結婚式に参加するため、2日間という短い期間だが日本に帰る機会があった。
当日の地元の気温は35度。亜熱帯の香港の方が涼しいくらいの暑さだった。
しかし、その暑さ以上にキツかったことがある。
それは、日本の結婚式でお約束になっている新郎の上司による主賓スピーチだ。
この主賓である上司の挨拶が、とにかく聞くに耐えられなかった。
他の結婚式においてもこの手の上司による主賓スピーチは何回も経験しているが、日本にいた頃は「目上の人だから」という理由だけで、初対面の人の話をお行儀よく聞いていたものだ。
しかし、上下関係も緩く、自分の時間を大切にする海外の人達との生活も長くなると、日本の上司という名のオジサン達の話がいかに酷いものかが客観的にわかってくる。
もちろん、上司と呼ばれる日本人全てがこの様だと行っている訳ではない。しかし、日本の職場には、この様な無能な上司達が、どこの職場にも確実に存在する。
そこで、今回はこの手の上司の心理と特徴・そして、無能な上司が生まれる背景を一つずつ紐解いて行くと共に対処法を考察してみる。
目次
日本に蔓延る上司という名の無能なオジサン達の話の特徴
日本の無能な上司の話は概ね以下の3点の共通点がある。
1. 長い
2. つまらない
3. 理解不能
では、一つずつ解説していこう。
日本の上司の話は長い
今回、結婚式で主賓として呼ばれている会社の上司にあたる人は、日頃、部下を管理する立場にある。
上下関係が厳しい日本の社会のサラリーマン生活の中で、自分に意見をしてきたり、自分の話を聞かない部下はほとんどいないはずだ。
(本音はどうであれ)建前上、上司というだけで部下がヨイショしてくれるので、自分は「特別な存在」と錯覚しやすい。
そのため、「自分の話は貴重」という勘違いが生まれる。まさに自分の話が「神の声」と言わんばかりの勘違いだ。
最悪、会社という狭い世界の中でなら、それでもいいかもしれない。飲み会で自分の武勇伝や部下へのダメ出しをして悦に入る。部下はそれを持ち上げ(るフリをして)、上司はハッピー。組織も人間関係も表面上は上手く回る。
しかし、今回の結婚式という場は会社の関係者のみが集う場所ではない。
新郎新婦の家族、親戚、友人。
会社で周りに持ち上げられることに慣れたオジサン達にとって、会社と「公の場」の判別はもはや不可能。
今回の結婚式のスピーチも10分近くと長かった。
式には80人くらいの参加者がいたので、10分×80人で800分の時間を奪っていることになる。
この様に、日本の上司という名のオジサン達は、他人の時間に対して非常に無頓着な人間が多い。
日本の上司の話はつまらない
彼らの頭の中には「会社で俺はエライ」=「俺の話は貴重」=「みんな話を聞いて当然」という方程式が出来上がっている。
今回の式でも参加者の半分以上がその上司と初対面であるにもかかわらず、「みんな、俺の話を聞いて当然」という思考から、非常に内容も薄っぺらいものだった。
どうすれば、人を自分の話に引き込むことができるかという努力と考えの跡が見られない。
たとえ、式の参列者の多くが主賓より若くても、赤の他人の彼らに初対面のオジサンの話をおとなしく聞いている義務はない。
海外は無駄な時間に関してはとてもシビアだ。たとえ友人の上司でも話がつまらないと判断したら、携帯に手を伸ばしたり、タバコを吸いに離席する。
少なくとも自分の住んだことのある香港やシンガポールはそうだった。
時間は自分のために使う。
老若男女問わず、この考えが浸透している彼らは、たとえ上司の話でも、つまらないと判断したら、容赦無く切り捨てるのだ。
日本の上司の話は理解不能
今回の結婚式の話を例に取ると、この上司はスピーチの最中に、ちょくちょく会社の中の人にしかわからないエピソードを持ち出していた。
本人は悪気はなく、ただ部下である新郎の活躍を皆に紹介したいだけなのだろうが、全く聞き手の立場に寄り添っていない。
ここまで来るともはや「スピーチ」ではなく、もはやただの自己満の雑談だ。
以前には、結婚式で長々と会社の紹介をするオジサンのスピーチも経験したことがある。その中でも強者は、決算発表のごとく自社の業績まで述べているのもいた。
会社に愛着があるのはわかるが、果たして何人がその話題に興味を持ってくれるのだろうか?
会話やスピーチの基本である聞き手に寄り添うことが、部下にヨイショされる会社員生活の中で、失われてしまっているのが、現在の日本の上司と言う名のオジサン達なのだ。
話が長くつまらない上司の対処法は・・・
話が長くつまらないという人はどこにでもいる。その様な相手には、話を遮ったり切り上げたりと対処法が存在するが、相手が会社の上司という場合、そうはいかない。
年功序列の日本社会では、実力ではなく、会社の勤続年数がものを言うので、話が長く要点をまとめることができない人間が上司という立場になることが多々ある。
さらに年功序列の日本社会では、上司の機嫌を損ねれば、出世や昇進に大きく影響する。
日本社会の年功序列が生み出す、話が長くつまらない上司。さらにその無駄話に付き合わなければいけない仕組みを作る日本社会の年功序列。
この様な社会の仕組みの中で、もはや、話が長くつまらない上司の対処法は存在しない。
話が長くつまらない上司に当たったら運が悪かったと諦めるしかないだろう。
上司の長く下らないお話に付き合うのも、給料に含まれる我慢料と考えるしかないのかもしれない。
最後に
上記でも述べた様に、年功序列の日本社会の場合、ある程度の年齢、特に部下ができるようになると、周りが自分の話を黙って聞いてくれるという錯覚に陥りやすい。
さらに会議や会話は長い方がいいという根拠のない信仰もある。
日本の今のシステムは、年齢を重ねるごとに「相手の時間を使ってもらっている」という姿勢が欠けて来る様に出来ている。
自分の会社の外国人上司や年上の友人を見ていると、話だけでなく電話も会議も日本人から見ると驚くほど短い。本当に重要な点しか述べずにサックと終わらせる。さらにユーモアも忘れない。
例え上司や年上という立場であっても、長くつまらない話だと部下や若者に相手にされないからだ。
今回の参加した結婚式のスピーチは、長くつまらないものだったにも関わらず、周りの若い日本人の参加者はじっと主賓の方を見て黙って聞いていた。
礼儀正しいと言えば聞こえがいい。それが日本のマナーと言われればそれまでだ。
しかし、自分の時間という貴重な資産を我慢してまで、今日初めて会ったオジサンの為に使うのは、お金をドブに捨てているのと同じことだ。
自分の時間を資産と考え、無駄な時間を嫌う海外であれば100%、確実に途中退席するか携帯を弄りだす。
日本の若者にも海外のように、相手が年上でも上司でも(あくまでも間接的に)「お前の話はつまらん!」と伝えるくらいの気概が必要なのかもしれない。
そうでなければ、何が嬉しくて今日初めて会ったオジサンの長くつまらない話を聞かなくてはいけないのだろうか。
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