前の五千円札の肖像画でも有名な新渡戸稲造は、その著書「武士道」の中で、
と日本人の道徳観を固有なものと説いた。
そして、それから120年・・・
インスタに代表されるSNS全盛期の現代の日本にも、日本固有の文化が生まれている。
それが匂わせ女子だ。
しかし、日本固有の文化は、この「匂わせ女子」のみに止まらない。
この「匂わせ女子」に対して、周囲が陰口を言ったり、笑い者にしたりする「匂わせ女子叩き」までが、ワンセットで日本固有の文化となっている。
日本人なら、ネットなどで「匂わせ女子特徴10選!」と言った、匂わせ女子を笑い者にする様な記事を見かけたことがあるだろう。
この様な「匂わせ女子」のさりげないアピールから、周囲の非難による「匂わせ女子叩き」までの一連の流れは、海外ではあまり見らない。
では、なぜこれが日本特有の現象なのだろうか?
今回は、その辺りを掘り下げていこう。
目次
匂わせ女子の心理とは?日本の文化が生み出した匂わせ女子
まず匂わせ女子の心理とは、なんであろうか?
なぜ匂わせ女子は、彼氏の存在や自分の幸せを遠回しに表現するのだろうか?
日本では、そんな匂わせ女子の心理を「承認欲求満たすため」と考えることが多い。
これは半分合っていて、半分間違っている。
そもそも「承認欲求」とは誰もが持ちうる、人としてごく自然な感情だ。
ここで海外のSNS事情を見てみよう。
自分は2年間、バックパッカーとして世界中を周った関係で、多くの国に友人がいる。
彼らのインスタやFacebookを見ると、SNS上で、異性との交際を堂々と発表するケースが非常に多い。
特に東南アジア、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカなどに住む友人たちは、その傾向が顕著だ。
もちろん、行き過ぎた異性とのラブラブな投稿は嫌われるが、少なくとも堂々と交際を発表してもOKな土壌が存在している。
誰だって幸せは自慢したい。
海外の人達は、そんな日常での承認欲求をSNS上で表現して、ガス抜きをしているのだ。
その一方で、日本では目立つことや自慢は悪と捉えられ、満たされない承認欲求が行き場を失っている人がとても多い。
日本では「匂わせ女子」に対して・・・
こんな意見もあるが、「出る杭は打たれる」と日本の教育で子供の頃から刷り込まれた日本人には、その「堂々」のハードルがとても高いものになる。
先ほど、匂わせ女子の心理について「承認欲求満たすため」というのは半分合っていると述べた。
匂わせ女子の心理の残りの半分は「自慢と捉えられる恐怖心」や「周囲の妬みから防衛」と言った周囲に対する配慮なのだ。
承認欲求は、どんな人間でも用いる自然な感情。
しかし、それすら否定してしまう日本の文化の中で、行き場を失った承認欲求は「匂わせる」という形で何とか満たされているのだ。
なぜ日本人は匂わせ女子のSNSがウザいと思うのか?
匂わせ女子のSNS投稿を見て、モヤっとしたり、イラッとする日本人は多い。
しかし、その感情を言語化できる人は少ない。
次はその「モヤッ」や「イラッ」の感情について、その正体を分析してみよう。
日本では幼い頃から・・・
と周囲と合わせることを刷り込まれる。
そのため、横並びの意識がとても強く、周りと同じ行動を取って安心する心理を持っているのだ。
ちょっと前に話題になった小学校での「順位を付けない運動会」などは、そんな横並びの意識が生んだ典型的な例だろう。
みんな平等。みんな同じ。みんな同じ価値観。
そんな日本人にとって、誰かが「抜けがけして幸せになる」というのは、許し難い裏切り行為に他ならない。
周りと同じ環境で安心を得る日本人にとって、誰かが「抜けがけして幸せになる」ということは、その安心を脅かされることになる。
それが匂わせ女子のSNSにイラッとする正体だ。
そして横並びの意識は、時としてイジメと同じ原理で「自分と違う行動を取る人」に嫉妬心を覚え、不安を解消するために攻撃する。
だから、匂わせ女子のSNSは叩かれやすい。
匂わせ女子の方は「自慢と捉えられる恐怖心」や「周囲の妬みから防衛」として、SNSで匂わせているのだが、この匂わせ女子と周囲との「自慢への尺度の違い」が、「匂わせ女子叩き」を引き起こしている原因になるのだ。
「匂わせ」も「自慢」も受け入れる度量がない日本人達
自慢を悪と定義し、承認欲求を制限する日本の文化から生まれた「匂わせ女子」。
そして、強い横並びの意識から起こる「匂わせ女子叩き」。
どちらも日本人の価値観の負の部分が具現化したものだ。
これらからわかる様に、誰かが「抜けがけして幸せになる」ということは、周りと同じ環境で安心を得る日本人にとって脅威でしかない。
それが本能でわかっているからこそ、日本人は・・・
などと言って、自分を恵まれない環境であることをアピールし、相手を安心させようとするのだ。
謙遜と言えば聞こえは良いが、相手に嫉妬されないための日本人同士の処世術と言えるだろう。
「僕はあなたより不幸ですよ」
「恵まれていないですよ」
「だから安心してくださいね」と。
アイドルにおける恋愛禁止も同じことが言える。
恋愛禁止の理由の1つに「アイドルは夢を与えるのが仕事だから」というのがあるが、それは建前だ。
プライベートで幸せな姿を見せてしまうアイドルは応援されず、人気も出ない。
判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉がある様に、応援されるためには、不幸だったり、恵まれていなかったり頑張っている姿を健気に見せなければならないのだ。
アイドルの恋愛禁止は、日本人の強い横並び意識を刺激しないための忖度と言えるだろう。
匂わせ女子を叩く日本の文化。改める時は今!
日本人の強い横並び意識。
周りと同じ環境で安心を得る日本人の心理。
そして、それを刺激しないために生まれた様々な文化。
しかし、これらの周囲と同調することを良しとする日本人の文化、そろそろ改めなければ行けない時が来ているのではないだろうか?
インターネットの登場や外国にルーツを持つ人が増え、価値観が多様化した現在の日本では、この横並びの意識は限界を迎えていると感じる。
インスタやFacebook、TikTakの様な世界共通のプラットホームが出来たおかげで、世界の価値基準を知り、日本人でもカップルや夫婦で堂々と幸せアピールをする人達が若い世代を中心に増えてきた。
そもそも「匂わせ女子叩き」は「抜けがけして幸せになるのを許さない」という圧力から来ているものだが、その「幸せ」さえも恋愛や結婚だけでは計れなくなってきている。
ある人は恋愛で幸せを見出し、ある人は仕事で幸せを見出す。また、ある人はそれを趣味の時間に求める。
この様に、人の幸せの基準も多様化している現代の日本では、「各々の幸せの基準は違う」という事を認識し、幸せアピール(という名の承認欲求)を認めてあげる度量が必要なのだ。
誰だって幸せは自慢したい。
そして、その幸せは人それぞれ。
もちろん、マウンティングなどは論外だが、
という幸せアピールに対して
ではなく、
と言ってあげられる文化の方が、素敵なのは誰にだってわかるだろう。
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