日本で「わたし、定時で帰ります。」というドラマが流行っているらしい。
このドラマが日本で流行っていると知った彼女(中国・上海出身)がこんなことを言い出した。
日本人でない彼女から見れば、「わたし、定時で帰ります。」というなんも変哲も無い言葉がドラマ化され、さらに人気を博している理由がわからないようだ。
彼女から見れば「定時で帰る」ことは「当たり前」であって、「わたし、人を殴りません」という名のドラマが流行るくらい違和感があると言う。
世界から見たら、当たり前のことが「ドラマ化」され、物議を醸す国、日本。
今回は、海外の人は絶対に理解できない、この日本の「定時で帰る」ことが特別視される現象について、語ってみようと思う。
なぜ日本人は定時で帰れないのか?
自分は香港で働いており、シンガポールでの就労経験もある。
もちろん、どちらも残業が全くない訳ではない。それは彼女の出身国の中国でも同じだ。
繁忙期やスタートアップの企業などで、定時で帰れないこともあるが、日本と違うのは、「定時で帰れない」ことは「例外」という意識だ。
翻って、日本は「定時で帰る」ことが「例外」とされ、ドラマ化までされてしまう。
この理由については、古今東西、様々な場所で議論されてきた。
特に欧米企業と比較することで、日本の「働き方」を問題視するケースが多い。
以下の4つが頻繁に指摘される代表的なものだろう。
日本でよく議論される、定時で帰ることを不可能としている4つの要因
1.ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用
海外の多くの国では、職務を限定した「ジョブ型雇用」なのに対して、日本は企業の都合により、職務を変更できる「メンバーシップ型雇用」。
この「何でも屋」の形を成す「メンバーシップ型雇用」が1人1人の業務を膨大にし、定時で帰ることを不可能としている。
2.マネジメントの能力の欠如
海外では、残業はマネジメントの能力の欠如という意識があり、管理職が部下を残業させない様に努力をする。しかし、日本の企業では、管理職にその意識が希薄で、残業ありきで業務をマネジメントする。
3.結果より過程を重視する評価基準
日本の企業は、成果より残業時間などの頑張っている過程を評価する傾向があり、多くの従業員が、評価や会社への忠誠心を示すため、遅くまでオフィスに残る。
4.膨大な仕事のための仕事
年功序列型の日本の企業では、縦管理が強く、稟議や上役を納得させるためだけの資料など、社内政治のための仕事が圧倒的に多い。
これら4つが日本でよく問題視される「定時で帰れない」要因だ。
もちろん、これらは「日本人が定時で帰れない」理由として間違ってはいない。
しかし、これらの要因はあくまでも問題の枝葉の部分で、幹となる部分、つまり本質的な問題は他に存在する。
その本質的な問題が、海外の人には絶対に理解できない、日本の「定時で帰る」ことが特別視される現象を引き起こす理由なのだ。
では、その本質的な問題とは何だろうか?
日本人が定時で帰れない2つの本当の理由
日本人が定時で帰れない本当の理由。それは日本人の「働き方」ではなく、その「働き方」を引き起こすマインド、価値観にある。
では、その日本人の「定時で帰れない」現象を引き起こしているマインドとは何か?
大きく分けて2つあるので、一つずつ説明していこう。
その1 苦労の神格化
日本には「苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。
この言葉に代表されるように、日本人の中には「苦労すること」そのものが尊いという意識が確かにある。
日本の新卒で入社した会社では、毎晩終電まで残業をしていたので、そのことだけで「頑張っている」と評価され、同期の中で一番最初に昇進した。
当時の上司も「苦労は買ってでもしろ」と言って、無給で残業をさせることを正当化していた。
低賃金や長時間残業を「苦労は買ってでもしろ」や「やりがい」「成長」という言葉に置き換えて、ごまかすのは日本の企業が良く使う手法だ。
もちろん、「苦労」そのものを否定する訳ではないが、日本では「苦労」という言葉を神格化するあまり、思考停止し、成果や効率といったものはないがしろにされていることは否定できない。
データー入力に関して、マクロを使用して自動化した社員に「楽をするな」と言った上司の話もあながち都市伝説ではないだろう。
海外のビジネスの場では(少なくとも自分がいたシンガポールと香港は)成果と効率が重視される。
少ない労力で大きな成果を出すことが、一番賞賛され、そこに「苦労」や「やりがい」「成長」といったふわふわした言葉が入る余地はない。
仕事の本質とはなんだろうか?
「憂鬱じゃなければい仕事じゃない」という本が流行ってしまうくらい、多くの日本人は仕事は苦労するべきだと思い込んでいる。
「残業」は苦労。苦労は尊い。だから残業は尊い。
そんな日本人の「苦労」を崇め奉る意識が、定時で帰ることを思いとどまらせているのだ。
その2 異常なまでの「集団主義」
日本人が定時で帰れない本当の理由。その2つ目は異常なまでの「集団主義」に起因する。
日本人は「周りに迷惑をかけるな」と小さいころから教えられ、常に周りを意識するように刷り込まれて大人になっていく。
そうして「自分が周りと違う」ことを極度に恐れ、さらには「周りと違う人」を許さない。
地毛に関わりなく「髪は黒でなくてはならない」という学校での指導。
選択や手段であるはずの結婚を「幸せの基準」と考える風潮。
大学の入試で18歳の受験生に加点をする日本の大学入試システム。
このような本質を見余った、「集団主義」に基づく日本人の価値観は至るところで見られる。
「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」「世間に顔向けできない」などは日本人の「集団主義」の特徴をよく表した言葉だろう。
残業に関しても同じことが言える。
「自分が周りと違う」ことを恐れず、「周りと違う人」ことを気にしない海外では、このようなことはまず起こらない。
香港、シンガポール、中国では、定時で帰っても有給を消化しても、産休を取っても日本人の様に罪悪感を感じたり、「ズルい」と妬まれることは絶対にない。
日本人の「自分が周りと違う」ことを極度に恐れ、さらには「周りと違う人」を許さないこの考え方は、もはや「集団」や「世間」と言ったものを崇め奉る宗教に近いものと言っていいだろう。
だが、このような日本人の「集団教」にはプラスの面もある。
先のサッカーW杯で賞賛された日本人のスタジアムの片づけや掃除。
東北の震災で暴動や略奪が一切起こらなかった日本人の秩序やモラル。
このような周りが良い行いをすれば、即座に伝染し良い結果を生み出す。
反対に渋谷のハロウィンの暴動のように、周囲が羽目を外せば同じように即座に伝染する。
日本人の行動規範は、常に周囲の言動に大きく左右されるのだ。
「やりがい」や「常識」といった精神論で洗脳させるモデルの限界
日本人が定時で帰らない理由。
それは異常なまでの「集団主義」と「苦労」は尊いものと考える価値観からだ。
しかし、ここで大きな疑問が残る。
日本人の行動原理は周囲に大きく影響される「集団主義」と述べた。
では何故、これまで「みんなで定時に帰ろう」という動きがされなかったのか?
「苦労は美徳」という考え方が日本人の奥底にあれど、周りが定時に帰れば、みんな揃って定時に帰るのではないだろうか?
だが、ここで考えてみて欲しい。
みんなが定時で帰えると困る存在がいる。
それが会社の経営者達だ。
従業員が自主的に残業をし、(中にはタダ働きで)より低コストで馬車馬のごとく働いてくれれば、会社を運営する側から見ればこんなに嬉しいことはない。
そのため、会社の経営する側は、この日本人の「集団主義」や「苦労は美徳」といった価値観を上手く利用するのだ。
「わたし、定時で帰ります。」のドラマの中で、こんなシーンがあった。
シシドカフカ演じる仕事命の三谷は、新人の女性社員に対して・・・
これを聞けば、多くの日本人がこのようになるだろう。
「周囲はみんなそう思っている」、「仕事とは苦労するもの」と言えば、集団と苦労を何よりも大事にする日本人は思考停止になる。
だが同じことを海外の人が聞いたら、どう思うだろうか?
今まで日本の多くの企業は、「常識」「成長」「やりがい」などの言葉を巧みに使って、従業員を思考停止させ、働かせ放題でやってきた。
しかし、そんなモデルも限界を迎えている。
日本は労働人口が減少し、外国人労働者を受け入れざるを得なくなっている。さらに国内マーケットも縮小している現在、多くの企業が国外にビジネスを求めている。
すべての日本企業が、国内、海外問わず、外国人と一緒に働かざるを得ない状態なのだ。
そんな彼らに、今までの様な「常識」「成長」「やりがい」と言ったマジックワードは通用しない。
日本企業は、今までの理不尽な習慣を精神論で思考停止させるのではなく、「論理的に説明」出来るようにならないと外国人は来てくれないし、真のグローバル企業にはなることはできないだろう。
「新人は30分前には出勤」
「ぎりぎり出社はNG」日本村の古くからのローカルルールなのはわかるけど・・・
こう言うのを「常識」で思考停止させるのではなく、「論理的に説明」出来るようにならないと外国人は来てくれないし、グローバル企業にはなれないよ。 https://t.co/wpMZ329aqP
— Johnny@世界のどっか (@ucango_anywhere) 2019年4月20日
ドラマであったこのセリフ。
こんなことを言おうものなら、この様に言われるのがオチなのだ。
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