先日、日本に帰る機会があり、学生時代から10年以上の付き合いのある2人の女友達AとB(双方とも既婚)と飲みに行くことになった。
しかし、直前で友人のBが来れなくなってしまい、もう一人の女友達Aから以下の様なLineを受け取った。
これだけ聞くと日本人にとっては、ごく当たり前の様な出来事に映るかもしれない。
しかし、海外に長く住んでいる自分にとっては、こういう所は日本独特の文化だなと感じる出来事だった。
今回は、そんな経験から、海外から見ても独特な日本の男女の友情について紐解いてみたくなった。
既婚者の男女の友情はなぜ続かない?
この女友達Aとは大学卒業後も2人でよく会っていたし、Lineも頻繁にする。10年以上の付き合いの中で、もちろん恋仲にはなったことはない。
しかし、最近、その女友達Aは結婚し、お互い2人で会うのは憚られる状況になっているのだ。(ちなみにAの旦那さんとは結婚式で挨拶をしたのみの間柄)
これは日本人にとってはごく当たり前のことかもしれないが、日本以外の国を見渡すと少し様子が違う。
それを理解するために、まずは海外と日本の「男女の友情の違い」と「既婚後の男女の友情の変化」を説明していこう。
積極的なボディタッチもアリな海外の男女の友情
南米や欧米出身の友人と話をしていると男女の距離感が非常に近いと感じることが多々ある。
男女2人でも泊まりがけで旅行に行くこともあるし、日本人から見ると「カップル?」と勘違いしてしまいそうなスキンシップも多い。男女でルームシェアをしている友人達も多くいる。
まるで友達に男も女も関係ないといった風に。
同じアジアを見ても、島国でもあるフィリピンや台湾も男女間の垣根は低い。※女の子の嫉妬深さは日本人以上だが。。。
台湾、フィリピンの女友達は「気のおけない友人同士」であれば、男女間でもとにかくボディタッチが多い(ほとんどの場合、女性からだが)。
何人かの友人に・・・
と伝えたところ・・・
と大変驚いていた(・・・ので彼女達のボディタッチは日本でいう小悪魔テク的なものではないはず)。
同じくアジアの中国や韓国の女友達と会話をしている時も、日本よりパーソナルスペースが狭いためか、日本人からすると「この子、自分のこと好きなんじゃ。。。」と勘違いしてしまいそうなくらいの距離に近づいてくる。
翻って日本は宗教や法における制約もないのに男女の壁が厚い国だ。
男女別に固まる中高時代。未だに根強く存在する異性の友人が成り立つかという議論。
この違いは一体どこから来るものなのだろうか?
日本の教育と嫉妬心が作り上げる男女の壁
こんな風に日本人は子供の頃から、性別によって異なる教育を受ける。
ほんの少し前までは、ランドセルの色は男子は黒、女子は赤というのが常識だったし、出席番号も男子が先で女子が後というのが当たり前だった。
日本の教育の中で、このようなジェンダー観の押し付けが、今でも当たり前のように行われている。
子供の頃からそんな性差を意識した教育を受けているため、学生時代は男子は男子同士、女子は女子同士の同性のみのグループで行動することが多い。
しかし、そこは思春期の学生。そのグループの垣根を超えて、積極的に異性に関わりたいと言う気持ちはあるはずだ。
にも関わらず、異性と積極的に関わろうとしないのは何故か?
学生時代を思い出して欲しい。異性に積極的に話しかけることができるクラスメートを「なんとなくムカつく」と思ったことはないだろうか?
彼(または彼女)は直接、自分に危害を加えている訳ではないが、自分が出来ないことをさらっとこなしてしまうことへの嫉妬心。
しかし、そんな自分の嫉妬心を認めたくなくって、そのクラスメートを茶化したり、悪口を言ったり、仲間外れにしたりしてしまう。きっと誰もが通るであろう思春期の1ページだ。
クラスという空間に存在する「男」と「女」という2つの村。この2つの村の間には高い壁がそびえており、本当はみんな、その壁を登って飛び越えて、互いの交流を深めたい。
しかし、その壁を飛び越えるのはとても勇気がいる。村の中でも壁を飛び越えられるのは極わずかな人だけだ。
そんな村の秩序を守るために出来上がったのが、多数派に合わせた「壁は飛び越えてはならない」という暗黙のルールだ。
ジェンダー観を押し付ける教育により作られた男女の壁。そして、出来る者への嫉妬心を覆い隠すための「壁は飛び越えてはならない」という暗黙のルール。
この2つが日本の学校という空間には確かに存在し、日本の男女の壁を高くしているのだ。
自然消滅しやすい既婚者の男女の友情
そして、そんな思春期も終わり、一般的に十代の終わり頃から男女の友情というものが成立していく。
しかし、日本の場合、せっかく男女の友情が成立してもどちらかの結婚を機に疎遠になりやすいのは、冒頭で述べた通りだ。
配偶者が不快に思うかも知れないという配慮から、異性の友人とは距離を取る傾向があり、既婚者の男女の友情が継続または成立しづらいのだ。
どちらが良い悪いではないが、日本人は「狭く深く」、海外の多くの国では「広く浅く」という人付き合いのスタイルの違いがある。
海外では(少なくとも欧米や自分が住んでいた香港やシンガポールは)、結婚しても配偶者を自分の友人(異性の友人も含む)に紹介して、グループで付き合う場合が多い。
普段からグループ交際しているため、配偶者も自分の異性の友人の人となりをよく理解している。
そのため、男女の友情が結婚を境に変わってしまうというケースは少ない。
その点、日本人は「配偶者」「学生時代の友人」「共通の趣味の友人」と言った風に、周囲の人間をいくつかにカテゴライズする傾向があり、そのカテゴリーが交わることは少ない。
配偶者からすれば、夫(または妻)の異性の友人は「得体の知れない存在」となってしまう。
このように日本では、夫婦の関係を良好に保つために、異性の友人と距離を置くことで、既婚者の男女の友情が成立しづらくなっているのだ。
最後に
まとめると・・・
その2. カテゴライズされる人間関係
日本の男女間の見えない壁は日本語にも如実に表れている。
日本語では友達を「男友達」「女友達」と言う様に男女で分ける言葉が存在する。
しかし、英語での「Boy friend」「Girl friend」と言ったら「カレシ」「カノジョ」を表す言葉だ。友達に男も女もないというのが英語圏の考え方だ。
お隣の中国も韓国も友達を男と女で分けたりはしない。中国語の友達を表す「朋友」と「女」を組み合わせると「女朋友」で「カノジョ」という意味になってしまうし、韓国語も「여자」(女)と「친구」(友達)を合わせると同じく「カノジョ」という意味になる。
このように、日本は他国と比べると男女の友情が育ちにくいという事実は、日本語の表現からも正確に物語っているのだ。
記事、楽しく拝見いたしました。
私にも「そう言えば」と思うことが。
大学院時代の友人(異性・女友達)がスイス人と結婚してスイスに住んでいるのですが旅好きの私は彼女が結婚して以降、覚えてる限りでも2回は二人で会ってます。
おまけに一度は夫婦のお宅に泊めてもらいました。
(「迷惑じゃないの?」と聞いたら「むしろウェルカム」と言われました・)
スイスはヨーロッパの中でも保守的なお国柄らしいですが、彼女も旦那から特に何も言われていないようなので、既婚者が異性の友人と二人で会うのは問題じゃないみたいです。
気になってたんですが、この男女の距離感は日本特有のものだったんですね。
なんか腑に落ちました。