海外でもコロナ蔓延は、終わりの兆しが見えず、もう2年近く日本に帰れていない。
自分の住む香港は現在、厳重な移動制限により、陸の孤島と化しており、香港の外にさえ2年近く出れていないのだ。
海外生活が長いとは言え、流石に2年近く日本に帰れていないと恋しくなる。
香港に住んでいる自分の友人(外国人や日本人を問わず)の中にも、海外生活に耐えられず、このコロナ下で帰国を選んでいる人がいる。
いわゆる、「ホームシック」だ。
日本人がホームシックと聞くと・・・
と思う人も少なからず存在するだろう。
ホームシックも鬱病と同じく、精神論を好む日本人には中々理解されない面がある。
しかしながら、ホームシックは激しいトレーニングを積んだアスリートさえも悩んでおり、海外赴任や留学等、新しい環境に飛び込めば、誰にでも起こり得る可能性があるものなのだ。
そこで、今回は自分の体験も踏まえて、ホームシックを語りつつ、日本人のホームシックへの理解をアップデートしてみよう。
目次
海外生活7年目のホームシック履歴
海外生活が7年になる自分も、何を隠そう、今回を含めて過去に3回、ホームシックにかかったことがある。
ホームシックと聞くと海外にいて、その国の文化や習慣、食べ物が合わず、日本を非常に恋しく思うと言ったイメージが強い。
しかし、海外に限らず、国内で1人暮らしをしている場合でも、ホームシックなるケースは多い。
もちろん、自分自身も海外生活だけではなく、日本にいた時もホームシックにかかっている。
では、どんな時にホームシックにかかったのか?
以下、自身のホームシック履歴を晒してみよう。
大学時代でのホームシック
・原因 友達がいない
・結果 大学中退
人生で初めて味わったホームシックは、大学生の時だ。
自分の高校時代は、どこにでも居そうな、ごく普通の田舎の高校生だった。
ごくごく普通の高校生活だったが、友人にも恵まれ、それなりに楽しく過ごせていた。
そして、高校卒業後、地元の私立大学に現役で入学。
しかし、大学生活には馴染むことが出来なかった。
当時の自分は極度の人見知りで、知らない人に自分から話かけることが出来なかったのだ。
高校はクラスという名の半径数メートルの狭い世界にいれば、誰かが話かけてくれ、自然に友達となることができた。
しかし、大学は大人数で講義を受けるため、クラスというものがない。
そのだった広い教室で、どんなに待っていても自分に話かけてくれる人は、1人もいなかった。
周りの人達は、最初は1人でも教室で隣同士になった人に自然に話かけ友達になっていく。
そんな誰かと誰かが友達になるという瞬間を何度も目の当たりにした。
当たり前のことが、当たり前にできない自分。
孤独な自分を見られたくないという気持ちから、昼ごはんはいつもトイレで食べていた。
楽しかった高校生活との落差。
地元や高校生活が恋しくなり、どんどんホームシックになっていく。
そして、学校から足が遠のき、1ヶ月後には完全に大学には行かなくなってしまったのだ。
そして、大学中退。
初めてのホームシックは、「友達がいない」という孤独に苛まれた結果だった。
海外留学でのホームシック
・原因 初めての海外生活
・対処方法 同じ志の友人と交流
人生2回目のホームシックは、海外留学の時になる。
30歳の時にサラリーマンを辞め、世界一周の旅を決意。
しかしながら、英語力に不安があったため、フィリピン・セブ島に語学留学することにしたのだ。
それまで、海外を旅することは多々あったが、本格的な海外での生活はこれが初めてとなる。
そこで味わったのは、フィリピンでの生活の期待値との落差。
それまで東南アジア各国を旅したことはあったが、タイのバンコク、マレーシアのクアラルンプール、ベトナムのホーチミン等々、東京と変わらぬ大都会ばかりだったので、セブ島での環境に衝撃を受けることになる。
貧しい掘っ立て小屋のような家々。
街灯もない暗い路地。
度々起こる停電。
炭水化物ばかりの貧相な食事。
そんな環境に追い打ちをかけたのが、友人の結婚式だ。
フィリピンでの留学中に、大学時代の友人が、日本で結婚式を挙げる。
Lineでシェアされる式での友人達の写真の数々。
友人の式を欠席してまで来た海外留学。
と思わざるを得なかった。
そのため、「プチホームシック」になり、寮の部屋に引きこもり、授業をサボることも多くなる。
しかし、同じ志を持った世界各国から来た友人達と時間を共にするうちに・・・
と思うようになっていく。
そうして、いつの間にかホームシックは消えていたのだ。
また、ホームシックで悩んでいたのは、自分だけではなかった。
同じように留学に来ていた海外からの生徒が、何人もホームシックにかかっている。
それも日本人だけでなく、ロシアやトルコから来た友人達もホームシックになっていたのだ。
ホームシックは、国籍を問わないのだろう。
留学という言葉も文化も違う、全く知らない土地で暮らすという事は、ホームシックは避けて通れないものなのかもしれない。
※フィリピン留学と聞くと日本人や韓国人ばかりと言うイメージがあるが、自分のいた学校はロシア資本のため、欧州の非英語圏やアラブ圏からの生徒も多かった。
※自分の通った学校は、セブの中心街から離れた場所にあったので、このような環境だったが、中心街はそれなりに栄えている。
海外移住でのホームシック
・原因 コロナによる渡航制限
・対処方法 模索中
冒頭にも書いたように、コロナにより、ここ2年近く日本に帰れていない。
この2年の間に、自身の結婚や日本に住む弟や友人の結婚もあった。
自分は、日本語が話せて、毎日、日本のドラマやアニメを見ている香港人の妻がいるので、まだ恵まれているかもしれない。
事実、香港に駐在に来た日本人で、ホームシックで帰任したという人の話もチラホラ聞く。
家族を日本に残し、単身で来ている人は、精神的によりキツイだろう。
自分がサラリーマンを辞め、海外を旅している時、多くの同じ境遇の日本人と知り合う機会があった。
彼らの多くは1年、どんなに長くても2年で旅を終え、日本に帰国している。
もちろん、旅の予算の問題もあるだろうが、多くの人にとって1年~2年というのが、母国に帰らずとも耐えられる限度なのかもしれない。
ホームシックの原因と対処法
ホームシックは、以下の様なものが原因で起こる。
・孤独
・慣れない環境
しかしながら、日本人のホームシックへの認識や対処方法などを見ていると若干ズレていると思わざるを得ない。
よく日本人は、ホームシックや鬱病と言った心の問題を
と精神論と結びつけたがるが、それは大きな間違いだ。
ホームシックは、慣れない環境で疎外感や孤独を感じれば、国籍、年齢、性別に関わらず、誰にでも起こり得るものなのだ。
そこには、気合いや強い気持ちといった精神論は関係ない。
また、インターネットで、ホームシックの対処方法を日本語で検索すると、以下のようなものが散見される。
・日本食を食べる
・日本のドラマや映画を見る
これらも、「慣れない環境」という置かれた場所に適応しなければならないという前提条件が間違っている。
それはどういうことか?
昨今、海外に移籍する日本のサッカー選手が増えてきた。
しかし、海外で活躍し、その地に長く留まることが出来る選手は、ほんの一握りだ。
多くの選手は、海外での慣れない環境で、その実力を十分発揮出来ずに、短期間で日本に戻ってくる。
もちろん、その中にはホームシックになって、日本に戻ってくる選手も多い。
そんな選手に対して、多くの日本人は・・・
と言う様に、「失敗」や「逃げ」と表現するのだ。
もちろん、海外から短期間で戻ってきた選手でも、日本でそれまで以上のパフォーマンスを発揮する選手も多い。
それにも関わらず、「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの本がベストセラーになったように、どうしても日本人には「置かれた環境に適応しなければならない」という強迫観念のようなものがある。
しかし、それは間違っている。
自分に合わないと思ったら、帰ってもいいのだ。
それは、「失敗」や「逃げ」でも何でもない。
「置かれた場所で咲きなさい」という受け身な姿勢ではなく、「咲けなける場所に身を起きなさい」という能動的な姿勢が、今の日本人には必要なのではないだろうか?
ホームシックになって良かったこと
これまで説明したように、自分はホームシックに3度かかっている。
そんな中でも、ホームシックになって良かったと思うことが1つある。
それは、「相手の気持ちを慮(おもんぱか)れる」様になったことだ。
上記で話した海外留学の時には、「プチホームシック」になったと書いた。
「プチホームシック」なった原因は、すでに説明したように、フィリピンでの環境もそうだが、もう1つの大きな原因がある。
それは・・・
という不安だ。
誰にとっても、すでに出来上がっているグループに1人で入っていくのはは難しい。
だからこそ、新しく入学した生徒に対して、「疎外感」や「孤独」を感じないように、先に入学した自分がWelcome partyを催したり、夜の遊び(クラブやバー)に誘ったりした。
世界中から様々な価値観や多様なバックグランドを持つ人が集まる中、新しく入学した生徒の中は、(自分にとって)合わない人も存在する。
しかし、それでも「自分にとって心地よい人」だけを集めてリーダーシップを取るのではなく、「誰一人として、仲間外れにしない」という信念の元、リーダーシップを取れる機会があったのは、非常に大きな経験だった。
ムラ社会が色濃く残る環境で育った日本人は、「自分にとって心地よい人」だけで集まりがちで、輪に入れない人達の「疎外感」や「孤独」といった気持ちを察することが非常に苦手だ。
自分と気が合う仲間。共感できる仲間。似たもの同士。
これらばかりを追い求め、勝手を知っている「コンフォートゾーン」から出ようとしたがらない。
何かを企画し、リーダーシップを取る場合でも、企画者と気が合う人しか誘わないケースは、日本ではよく見られる。
自分はホームシックを経験することによって、輪に入れない人達の「疎外感」や「孤独」といった気持ちを察する事が出来るようになった。
このホームシックから、相手の国籍、文化、価値観に関わらず、「誰一人として、仲間外れにしない」という信念のもと、「コンフォートゾーン」から逸脱したリーダシップを取れた経験は、海外で生きる自分の礎となっている。
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