先日、Twitterでクリスマスの香港でもケンタッキーに行列ができることを投稿した。
クリスマスにケンタッキーを食べるのは、日本だけじゃないからな! pic.twitter.com/uWUWFKbwT4
— Johnny@現在🇭🇰 (@ucango_anywhere) December 24, 2020
あたかも・・・
と恋人とケンタッキーを買い求める列に並んで、Twitter上の「クリぼっち」諸君に、リア充アピールをしているように見える。
しかし、正直に告白すると実はこれ、自分1人で列に並んでいるのだ。
所謂、「クリぼっち」だ。
しかも、自分は1ヶ月前に入籍したばかりの新婚。
本来なら、イブの夜を妻と過ごし、クリスマスの勝ち組になるはずだった。
なぜ、自分はイブの夜に「クリぼっち」となってしまったのか?
今回は、新婚の自分がイブの夜に「クリぼっち」となった理由について、事の顛末を話そう。
クリぼっちは怖くない?クリスマスの過ごし方は、それぞれな香港人
自分は30年以上生きてきて、クリスマスを恋人と過ごした経験というのは決して多くはない。
むしろ、聖夜を1人で過ごすのを、如何に親や友人にバレないように見栄を張るのに苦心してきたタイプだ。
だが、しかし!!!
今年は違う!
クリスマス1ヶ月前に、香港人の彼女と入籍。(付き合って1年のスピード婚)
今年こそは、クリスマスの勝ち組になるはずだった。
そんな浮かれた自分の心に水を差すように、クリスマス1週間前にあろうことか妻はこんなことを言い出した。
一瞬、妻の頭がおかしくなってしまったと思った。
クリスマスの夜は恋人と過ごすが決まりだ。
日本ではよく「欧米ではクリスマスを家族と過ごすのが一般的」というのを耳にする。
しかし、ここは欧米ではない。アジアの香港だ。
当然、日本同様、クリスマスは恋人と過ごすのが当たり前のはずだと思っていた。
それなのに、恋人(夫)をおいて、女子会とは。。。
しかし、おかしいのは妻だけではなかった。
自分の義理の弟(妻の弟)にも彼女がいる。
日本人の感覚で言えば、当然、弟も彼女とイブの夜は二人っきりで一緒に過ごすのが当たり前である。
だがしかし、この弟も彼女だけではなく、複数の友人を実家に呼んでクリスマスパーティをしたらしい。
恋人がいながら、わざわざ友人まで呼んでしまう。
日本人的感覚で言うとこの友人達は「邪魔者」以外の何者でもない。
しかし、これがどうやら香港人のクリスマスの過ごし方のようだ。
クリスマスを「恋人」と過ごすのも、「友人」と過ごすのも、はたまた「恋人と友人」、もちろん「一人」で過ごすのだってアリで、どれも「数ある選択肢の中の1つ」にすぎない。
香港でも、もちろんクリスマスは恋人と過ごす人も多い。
だが、クリスマスの過ごし方に「1つの正解」がある訳ではなく、人の数だけ正解があるようだ。
クリスマスをどう過ごすかは、自分達で定義付けする香港人と、他人が定義付けした「クリスマスは恋人と過ごす」というものを頑なに守り信じ続ける日本人。
同じアジア人でも、これだけの違いがあるのだ。
クリぼっちは恥ずかしいという日本人独特の強迫観念
日本で「クリスマスは恋人と過ごす日」と言われるようになったのは、1980年代以降らしい。
バレンタインでチョコ渡す習慣を広めたように、企業のマーケティング戦略の一環が始まりとされる。
そのため30代の自分は、学生時代から「クリスマスは恋人と過ごすのが当たり前」という半ば強迫観念のようなものを持ち合わせていた。
これには、思い当たる節がある人も多いだろう。
イブの夜は、1人で出歩くことさえ勇気がいる。
イブの夜に、1人で歩いていたら・・・
と思われるのではないか。。。
イブの夜に1人で過ごす自分は・・・
という劣等感。。。
こういったものを幾度となく感じてきた。
クリスマスの夜に、親や友人に予定がないと思われるのがたまらなく嫌で、大学時代にはイブの夜に山手線を何十周もしたことがある。
マンガ喫茶に昼から引きこもったこともある。
お金に余裕ができた社会人では、クリスマスと縁のないイスラム教の国、ウズベキスタンに高飛びさえした。
その逆もあって、(数は少ないが)恋人がいた年のクリスマスは、人生の勝ち組になったような気がした。
だが、数年前のクリスマス。
当時、付き合っていた上海出身の彼女に・・・
と言われたことがある。
その時、いかに自分が日本企業のマーケティング戦略やマスコミに踊らされ、日本の多数派の価値観に迎合し、自分の考えを持っていないかを痛感したのだ。
もちろん、日本にいる頃から「クリスマスは恋人と過ごすもの」というのは、企業のマーケティング戦略やマスコミの煽りだということには薄々は気づいていた。
それでも・・・
こう至極真っ当なことを口に出しても、日本の多数派、いわゆる「世間」というものはとても大きく力強く・・・
と少数派の意見を握り潰してしまう。
自分はもう海外生活7年目を迎える。
それでも日本の生活の中で植え付けられた「クリスマスは恋人と過ごすもの」と言う価値観が、未だに自分の心の奥底に根強く残っているのだ。
日本の「世間」という宗教に染められた洗脳を解くには、もう少し時間がかかりそうである。
最後に 〜クリぼっちは辛いという嘘〜
ここまで2000文字以上を書いてきたが、2つの嘘をついた。
1つは「新婚なのにクリぼっちで辛かった話」と言うタイトル。
本当はクリぼっちで辛かった訳ではない。
むしろ、自分1人の時間が出来て非常に嬉しかったのだ。
(タイトルに「辛い」と入れたのはGoogle検索で引っかかるようにするため)
今年はコロナで自分も妻も在宅勤務が増え、家の中で顔を合わせることが多かった。
そのため、一人の時間が全くなかったのだ。
思いがけず訪れた一人の時間。一人でナニをしていたかはご想像にお任せしよう。
(ちなみにp○rnh○bのサイトアクセス数は、クリスマスが一番多いらしい)
日本にいた頃、あれほど羨ましかった恋人と過ごすクリスマスも、結婚して誰かと過ごすのが当たり前のようになったら、1人の時間が恋しくなる。
自分が羨ましく見つめていたカップル達も、幸せそうに見えるだけで、本当は自身の「ないものねだり」だったのかもしれない。
そして、もう一つの嘘は冒頭のケンタッキーに並んだ件だ。
日本では、クリスマスにケンタッキーを食べる習慣があることは周知の通りだが、それが香港にも広まり、ここ数年クリスマスにケンタッキーを求める人が長蛇の列をなす様になった。
しかし、あまりにも長い列だったので、ケンタッキーの購入は諦め、近くのマクドナルドでチキンを買ったのだ。
イブの夜にマクドナルドを片手に、自分の好きなことをして過ごす。
「クリスマスは恋人と過ごすもの」という強迫観念から少し解き放たれた自分には、最高のクリスマスの夜だった。
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