先日、友人♀からこんな話を聞いた。
友人の誕生日の出来事。その日は、今付き合っている彼氏と初めて迎える誕生日になる。
友人♀は彼がどんなお祝いをしてくれるか、内心楽しみしていた。
しかし、当日彼氏はいたって通常運転。
その日は「誕生日」という言葉を聞かずに、1日が終わってしまったという。
次の日・・・
泣きそうになりながら謝る彼氏。
実は彼氏は仕事で納期が迫っており、忙しくて誕生日を忘れてしまっていたのだ。
友人もそんな彼氏に気を使って、特段、誕生日をアピールして来なかった。
誕生日を忘れられたことにショックを受けつつも、それでも彼氏は誕生日に気付いてくれたその日にお祝いをしてくれたらしい。
しかし、彼女の心の中では、今でも誕生日を忘れられたことに対するモヤモヤとしたものが残っているとのことだった。
自分は、パートナーならいざ知らず、仲の良い友人の誕生日さえを忘れたことがない。
それにはある理由がある。
今回は、誕生日の覚えておくことの重要性を解説すると共に、大切な人の誕生日を忘れる様な彼氏とは早く別れた方が良い理由を解説する。
目次
誕生日を祝うことは、相手に興味があることの意思表示
今の職場で在籍しているチームでは様々な国の出身者がいる。
そして、このチームではそれぞれのメンバーの誕生日を必ず祝うようにしている。
プライベートで仲良くしてもらっている国際交流を目的とした集まりでも、毎月誕生日会を開いている。
これらの誕生日会には「誕生日そのものを祝う」という意味の他に、もう一つ重要な意味がある。
それは「私はあなたに興味を持っていますよ」という意思表示をすることだ。
いかなるコミュニケーションも他人に対する「興味」から始まる。
どんな会話であれ、他人に対する「興味」から始まり、「興味」を示された相手は「自分は尊重されている」と感じられれば、心を開いて質問に好意的に返答したり、自分に興味を持ってくれたりする。
これがコミュニケーションの基本だ。
そして日々の生活で、この「私はあなたに興味を持っていますよ」と相手に一番伝えることができるのが「誕生日」なのだ。
コミュニケーションが上手な人は、他人の感情を上手く読み取り、何をしたら、また何を言ったら相手に喜ばれるかをよく知っている。
そのため「誕生日」や「記念日」を最大限に活用し、相手に「私はあなたに興味を持っていますよ」と上手く伝えるのである。
あのD・カーネギーも名著『人を動かす』の中で、コミュニケーションにおいて、人の誕生日を覚えて祝うことの重要性を説いている。
コミュニケーションが上手な人にとって、誕生日や記念日は、相手に「私はあなたに興味を持っていますよ」と伝える絶好のチャンスになるのだ。
誕生日を忘れられたら・・・そんな彼氏とは早く別れた方が良い理由
コミュニケーションが上手な人は、「誕生日」や「記念日」を活用して、相手に「私はあなたに興味を持っていますよ」と上手く伝える。
では、それが出来ない人というのはどんな人だろうか?
つまり、これは言外に・・・
と言っているようなものなのだ。
言い換えると誕生日を忘れられるということは、「あなたに興味ありません」と言われるに等しい。
では誕生日を忘れる人のその心を、次からもう少し深掘りしていこう。
誕生日を忘れる人の2つのタイプ
誕生日を祝うこと。それは「私はあなたに興味を持っていますよ」との意思表示。
では、誕生日を忘れる人にはどのようなタイプがあるのだろうか?
それは以下の様に2つに分けられる。
タイプA あなたに対する興味がない。
タイプB 他人にまったく興味がない。
タイプAは論外だ。相手の複数ある人間関係の中でパートナーの優先順位が低いという状態を指す。
そのような状態であれば、あなたは次までの繋ぎか、はたまた遊びか。
いずれにせよ。健全な交際とは言えない。出来るだけ早く終わらせるのが賢明だろう。
またタイプBのような、どんな人にもまったく興味を示さない人間も一定数存在する。
そのような相手にはどう対処すれば良いのだろうか?
誕生日を忘れるような男は出世しない!?
タイプBのような人が、大事な人の誕生日を忘れたり、覚えていない言い分には下記の様なものがある。
あなたの周りにもこの様な人間が、1人くらいはいるのではないだろうか?
上記で記載した通り、コミュニケーションは「私はあなたに興味を持っていますよ」と伝えることから始まる。
あまり記念日とか気にしない? 誕生日を祝う意味がわからない?
本人達がそう思っても、パートナーがそう思うかは別問題である。
繰り返し述べるが、コミュニケーションが上手な人は、他人の感情を上手く読み取り、何をしたら、また何を言ったら相手に喜ばれるかをよく知っている。
誕生日や記念日自体に意味があるかどうかという話ではない。
このような約束事や価値観を伝えてあるなら良いが、それ以外で誕生日を忘れるというのであれば、あまり「他人の感情を上手く読み取ることができない人」と言わざる得ない。
つまり、このような人たちは一方的なコミュニケーションしかできない人達なのだ。
ビジネスのシーンでこのコミュニケーション力は必須の能力だ。
仕事では取引先、上司、同僚、後輩と様々な人が関わり、そのバックグラウンドや年齢、国籍、宗教も多種多様となる。
その中で上手くやっていくには、他人の感情や経験を理解する能力は必須なものだ。
これが就職活動で多くの企業が「コミュニケーション能力の高い学生が欲しい」と言う所以にもなる。
他人の感情や経験を理解する能力がなければ、ビジネスのシーンで成功するのは極めて難しい。
それを補うだけのスキルや知識があれば良いが、それすらない人の将来は明るいとは言えない。
今までの日本の会社は、年功序列に基づいた「何年会社に在籍していたか?」というのが評価の大きなウェイトを占めてきた。
そのため「コミュニケーション能力」が欠けていても、長く会社に在籍していれば、それだけで管理職のポストに就くことが出来た。
しかし、グローバル化の波や終身雇用の崩壊で、このような評価システムは崩壊しつつある。
これからは人間関係構築や管理能力を含めたコミュニケーション能力、つまりソフトスキルの部分がより重要になってくるのだ。
つまり・・・
このような独り善がりのコミュニケーションする人間は、確実にビジネスシーンでは通用しなくなってくる。そして、出世することもないだろう。
誕生日を忘れられても別れない。その対価は何?
それでも、誕生日を忘れた相手が「一緒にいると落ち着く」「趣味が合う」等の「コミュニケーション能力」の欠如を補うだけの魅力があるなら良いだろう。
しかし、そうでなければ「他人に興味がない人」と長く一緒にいるのは難しい。
他人の感情を上手く読み取ることができない人と一緒にいても、こちらが相手に合わせなければいけないばかりで、いずれ我慢の限界がくるからだ。
その我慢の対価は何か?
相手の容姿か?
収入か?
はたまた世間体か?
相手に合わせて我慢するだけ付き合う価値があるのか?
その見極めが重要となってくるのだ。
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