ロシアで開催されているサッカーのワールドカップ(W杯)が先日、フランスの優勝で幕を閉じた。
ここ香港でも自身のチームが出場してないにも関わらず、大会期間中は大いに盛り上がった。
全試合を放映するショッピングモールのパブリックヴューイングは連日満員で、バーの売り上げも過去最高を記録する店が続出したという。
政治的パフォーマンスで物議を呼んだスイス代表の選手、ドイツ代表の敗退を喜ぶイングランドのサポーター達、日本の敗戦を嬉々として伝える韓国人アナウンサー。
W杯やオリンピックのような国同士の大会は、良い意味でも悪い意味でも、その国の国民性や他国との関係性を垣間見ることができる。
ではサッカーW杯を通して日本人はどのような国民性が垣間見られたのだろうか?
今回は、海外在住者として、W杯から見えた日本人の国民性について書こうと思う。
目次
W杯から見る日本人の国民性 -世界からみて誇れる点-
1+1を3にも4にも出来る組織を作れる日本人
今回のW杯の日本代表チームの団結力は素晴らしかった。日本代表はW杯開始まであと2カ月というタイミングで当時の監督・ハリルホジッチを解任。その後の結果はご存知の通り、西野新監督の元でグループステージを突破して、ベスト16まで駒を進めた。
今回の日本代表と同じグループに入ったコロンビア、セネガル、ポーランドには世界の超有名クラブでレギュラーとして活躍する選手が大勢いるに対して、日本は海外でプレーする選手が多いとは言え、そのほとんどが欧州の中堅クラブ所属だ。
事実、日本の前評判は高くなく、海外メディアを含めて多くの人がグループリーグ敗退だと思っていた。
しかし、結果は、個の力に頼らず、パスをよく回し、攻守の意思が統一された組織力で日本がグループリーグを突破。
2016年のリオデジャネイロオリンピックの陸上競技・男子4×100mリレーで銀メダルを獲得した時も同じ状況だった。各国100mを9秒台で走る選手を揃える中、当時の日本チームには9秒台で走る選手が1人もいない。
そのような状況下でもバトンパスを磨いた日本チームは銀メダルを獲得した。
全員が同じ目標に向かって、自分の役割を全うすることで1+1を3にも4にも出来る組織力。これこそが日本が世界に誇れるお家芸だろう。
立つ日本人あとを濁さずー掃除の文化ー
日本の教育では、小学校から教室の掃除は自分たちで行い、「自分で使ったものは自分で片付ける」ということを教え込む。自分が新卒で入社した会社は大掃除と称して、週1回、オフィス内やビルの周りを清掃する習慣もあった。
これら日本人にとっては当たり前の習慣も、ここ香港を始め、欧米などの学校では掃除はお金を払って清掃員がやる仕事という認識がある。
そのため、清掃員がするはずの公共の場の掃除を自主的に行っている日本人は驚きを持って迎えられたのだ。
こうした掃除の文化から日本人は道徳心を育み、他者への配慮を学ぶ。世界に誇れる文化であることは間違えない。
W杯から見る日本人の国民性 -世界からみて恥ずかしい点-
「自分はモテる!」と勘違いしている日本人
このW杯期間中、何回も日本のニュースやテレビの見出しで踊った言葉がある。「世界が日本を賞賛!」
「世界が日本を絶賛!」
日本のサポーターの掃除や日本代表チームの躍進の指した言葉だが、本当に世界が賞賛・絶賛しているのだろうか?
自分の海外に住む友人達は自国チームの応援に必死で、日本のチームの躍進やサポーターのゴミ拾いのことなど露程も気にしてない。
W杯に出てないここ香港でも、留学経験などで日本に特別な感情を持っている友人以外は、日本はW杯に出ている32チームのうちの1チームと言う存在だ。
残念ながら日本人が言う「世界が日本を賞賛!」の「世界」は海外の一部のメディアのごく小さな扱いの報道にすぎない。
それを切り取って日本のマスメディアは「世界が日本を賞賛!」「世界が日本を絶賛!」とあたかも世界中が日本を注目しているかのように報道しているのが真実だ。
「日本は世界中から好かれている」「日本は特別」。そう思いたい気持ちもわかるが、日本人はもう少し冷静に客観的に自分たちを見る必要があるだろう。
そうでなければ、女性から話しかけられただけで「自分はモテる!」と勘違いしている男の様に見えてしまうのが今の日本人なのだ。
犯人探しが大好きな日本人
特定の誰かを犯人に仕立て上げ、責任を押し付けることで、あたかも問題が解決したかのように錯覚しているのだ。
W杯の例を取ると上記の記事のように、日本が逆転負けを喫したベルギー戦での最後の得点のシーン。
明らかに失点の原因は、複合的な要因だが、犯人を一人に仕立てることによって、問題の本質から目を背け、解決した気になっている。
このような答えが出にくい複雑な問題は、犯人を特定に誰かに押し付ければ、とても楽だからだ。
この日本の犯人探しの国民性で一番犠牲になったのは、GKの川島選手だろう。
何もこれはサッカーに限った話ではない。政治、会社、学校でも同じことが言える。
不祥事を起こした当事者ならまだしも、関係者にも「問題を解決しろ」ではなく「責任を取って辞任しろ」と迫る。
問題解決よりも犯人を探して全ての責任を押し付けることで、問題の本質から目を逸らし、解決した気になっているのだ。
このような国民性から「名探偵コナン」や「金田一少年の事件簿」と言った海外からも愛されるミステリー漫画の名作が生まれるのはなんとも皮肉な話だ。
優越感に浸り、他人を見下す日本人
今回のW杯で日本はベスト16に駒を進めたが、お隣の国、韓国はグループステージ敗退となった。そして、こう言う時に必ず日本のメディアで現れるのが「韓国は日本を羨ましがっている」と言った類のものだ。
確かに韓国メディアはスポーツなどの分野で日本を意識していることは多々ある。
しかし、それと「韓国は日本を羨ましがっている」と安易に結びつけるのは日本人の思い上がりだ。逆の立場で考えればよくわかる。
例えば、韓国サッカーがW杯でベスト4に入った2002年(この時、日本はベスト16)。3位決定戦で日本を破り銅メダルを手に入れた2012年のロンドンオリンピック。
この時、「韓国は日本を羨ましがっている」と韓国メディアがこぞって書き出したらどう思うだろうか?羨ましいと思うより、そのマウティングに腹を立てるはずだ。
日本人は「みんな同じで当たり前」と言う環境で育つため、横並びの意識が非常に強い。そのため、他人から長所を褒められることが少なく、自己承認を満たす機会が中々ない。
その抑圧された承認欲求を満たすため、身近な人と自分を常に比較して、自分が少しでも優れている点を探しては、優越感に浸る傾向がある。
日本人の多くは彼氏・彼女が出来たり、結婚をしたりすると少なくとも一度はこう思うのではないだろうか?
「彼女がいないあいつは俺を羨ましがっている」
「私にはカレシがいるから、あの子より幸せ」
「独身のあの子は結婚した私を羨ましいと思っているに違いない」
「まだ独身なんてかわいそう」
相手が本当に羨ましがっているかは関係なく、承認欲求を満たすため、相手が羨ましがっていると勝手に定義付け悦に浸る。
このように日本人が身近な人に感じる優越感が、国レベルで顕在化するのが、W杯やオリンピックのような国際舞台なのだ。
その対象になりがちなのが、距離や文化が近い韓国や中国というわけだ。運悪く、日本の隣になったことでマウンティングの対象になってしまった「かわいそうな」国々と言えるだろう。
最後に
今回のW杯期間中に「世界が日本を絶賛!」と言った類の日本礼賛を見なかった日はない。いつにも増して各メディアがこぞって自国を褒め称えていた。
自国を礼賛することは悪いことではないが、近年の日本は度が過ぎていると感じる。
経済縮小、少子高齢化、人口減、国が抱える多額の借金。確かに日本の未来は決して明るいことばかりではない。
そんな自国に自信をなくしそうな現在だからこそ、「日本は世界から認められている国なんだ」と必死に承認欲求の満たそうとしているのだ。
だが「自分たちの国は特別」と思うことは、他国に対する優越感や差別にも繋がりかねない危険な考え方でもある。その様な考え方で日本は太平洋戦争を引き起こしたし、グローバル化した現在なら国際社会から孤立しかねない。
他国との差異に優越感や劣等感を感じることなく「みんな違ってみんないい」。
そんな多様性を認められる大らかな国民性というものが、今の日本には最も必要なものではないだろうか?
どうやら近代日本の歴史に関して誤解している点があるので指摘させていただきたい。
>>その様な考え方で日本は太平洋戦争を引き起こしたし
そもそも大東亜戦争(太平洋戦争)は日本が起こした戦争ではない。ましてや他のアジア人に対する差別意識から始めた戦争でもない。